私が就職したのは海部郡牟岐町。この記事の浅川とは、一つ南の港町で海南町浅川の事。今では海陽町浅川というのかな。職場の皆さん優しくしてくれて、船で釣りに連れて行ってくれることもしばしばでした。満月だからイカを釣るとか。私の勤務は、夕方から翌日の朝までの仕事が意外と多くありました。深夜は二人での作業です。たくさんの地元の話を聞くことができました。そんななか、添付している記事の内容をお聞きしました。親からの聞き伝えとの前置きで『あの時の津波は、浅川の港の底まで見えたんだ』とのことでした。想像に絶するオーバーな表現だなあと、被害状況を知らない私には合図値を打つ程度でした。この記事では、全国での死亡1330人で、徳島で202名、内この浅川村で85人と書いています。港の底を見に行った方も犠牲になったのでしょうか?語り継がれているので、高台から見られたのでしょうか。いずれにしても『防災』は、重要で、真剣に向かい合う重要な課題でっす。
津波のお話
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