記事は『時事通信 2月14日(金)6時7分』です。すごく心の温まるニュースです。
. 【ソチ時事】未曽有の被害をもたらした2011年3月11日の東日本大震災。仙台市出身の19歳、羽生結弦選手(ANA)も被災したが、苦難を乗り越えて、13日に行われたソチ五輪男子ショートプログラムの舞台に立った。羽生選手が育った「アイスリンク仙台」で震災当時、支配人だった新井照生さん(50)は特別な思いを送った。
アイスリンク仙台は、羽生選手が12年春まで拠点としていたホームリンク。トリノ五輪女子金メダリストの荒川静香さんも滑っていた。
震災当日午後、羽生選手は高校の試験休みにリンクで練習していた。その時、突然大きな揺れに見舞われた。壁にひびが入り、氷は波打った。羽生選手は知り合いの大学生に担がれ、屋外に脱出。スケーターの命である靴の刃にカバーをする余裕もなかった。
当初はスケート場に大きな破損はなく、営業再開まで「時間はかからないと思っていた」と新井さん。だが1カ月後の余震で製氷管がつぶれ、見通しが立たなくなった。
再開は7月。予想よりも早かった。拠点が閉鎖され、アイスショーなどで各地を転々としていた羽生選手を心配するファンの手紙が届き、行政や宮城県スケート連盟からの要望に応えた。
氷を張るには、相当な電気を必要とする。電力不足の折り、「うちばかり電気を使っていいのか」と葛藤もあったが、羽生選手を思う気持ちが強かった。
スケート場での羽生選手は誰にでも愛される存在。校外授業のスケート教室に来た小学生への靴の貸出係を務めたり、「ほうきを貸してください」と言っては、更衣室をよく掃除したりしていたという。
羽生選手は荒川さんと震災1年後に行われた「復興演技会」に出演。「1年後、このリンクに立てるとは思わなかった」と感謝した。新井さんは「羽生君は震災当初から、明かりをつけてくれる存在だった。震災前は、ただ勝てとか優勝しろだったが、今は違う意味で応援している」と、ソチでの雄姿に感慨を新たにしている。
以上引用致しました。
被災地の「明かり」=羽生選手の勇姿に感慨
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