平和記念公園では、とにかく『徳島県の石碑』を探すことから始まりました。南の海への崖まで進んだ時、案内人は『この付近からはたくさんの投身自殺があった』と、終戦間際の光景を話してくれました。万座毛付近でたくさんいたのかと根拠もなく考えていました。説明の途中で『家族全員殺された』というので、『それって何故、全員』ときくと、『沖縄への上陸は沖縄の真ん中で、そこから北への攻撃はされなかったので、北に逃げた人は助かり南に逃げた人は皆殺しにあった』とのことでした。当時は、裏切る日本兵も少なくなく、国から洗脳されている国民は国の言うことならなんでも従う。現代で言えば○○真理教のような・・・と。この写真は説明を受けている平和記念公園の南端。
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