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天木直人氏のブログより

サークル仲間の会話で出た『ポツダム宣言』について、調べているところ、以下のようなブログが(有料)配信されました。参考にご一読願います。

なお、ブログは一案件なら100円、月間だと500円くらいです。検索ですぐわかりますので、そちらも調べて頂ければ。

 

またひとつ新たな史実を学んだので共有したい

きょう6月21日の毎日新聞のコラム「火論」で、専門編集委員の玉木研二記者が迫水久常氏の書いた「機関銃下の首相官邸」(ちくま学芸文庫)の中のエピソードについて書いていた。

またひとつ、あらたな史実を学んだ思いだ。迫水久常(さこみずひさつね 1902年―1977年)は、1936年の2・26事件の時の岡田啓介首相の秘書官だった人物だ。 その迫水が、岡田啓介首相の救命劇についてその著書でこう語っていたというのだ。官邸に占拠した将兵に殺害されたと思われていた岡田首相は、じつは人違いで、当人は官邸に身を潜めていたという。それを察知した迫水は救出すべく宮中に行くが、集まった閣僚や将官らは異常事態に困惑して頼りにならない。うかつに話したら、反乱軍に通じる事をおそれたからだ。迫水は、岡田啓介首相が海軍出身だったこともあり、思いきって大角岑生(おおすみみねお)海軍大臣に救出ために海軍陸戦隊を出してほしいと持ち掛けたが、大角海相は非常に当惑し、「僕はこの話は聞かなかったことにしておく」と立ち去ったという

(筆者註:岡田首相は憲兵隊らの協力で翌日弔問客らに紛れて救出される)。

 

迫水が語るもうひとつのエピソードはこうだ。すなわち迫水は戦争末期、内閣書記長の要職にあって、あのポツダム宣言がだされた時の鈴木貫太郎首相に仕えた。1945年7月下旬、日本に降伏を迫るポツダム宣言が出された時、本土決戦を唱える軍部が激しく反発した。鈴木首相も東郷茂徳外相もポツダム宣言受諾の考えだったが、軍部が反対を要求したため、鈴木首相は記者会見で「政府としては重要視しない、黙殺するだけだ」という要領で答える事にしたという。その際、迫水は事前の軍の局長との協議で、「重要視しない」と言う言葉の前に「あまり」という言葉を、そして「黙殺」と言う言葉の前に「さしあたり」という言葉をつけようとしたが、押し切られたという。その結果、「ノー・コメント」というほどの意味だったものが、日本政府はポツダム宣言を一蹴したと海外に伝えられることになったという。その結果原爆投下につながったことはいまや皆が知ってる。

これが本当なのか、あるいは迫水の自己弁護なのか、私は知らない。しかし、中村専門編集委員はこの二つのエピソードを引用して次のように書いている。

重大局面で言葉がストレートに使われず、発信・発言の意図、責任の所在もはっきりしない。空気で動く。その危険性は戦争中の特異現象ではなくいまも続いていると。これだけは間違いなく、真実である(了)

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