三好郡井川町井内谷で育った私。
余談を先に書きますが、中学校の校歌
1番 かいなの山の懐で、励む
2番 そこすみ(汚れていないという意)通る井内谷の大水で
以下に掲載する記事は、徳島県立図書館に保存されている『阿波学会研究紀要』(よくわかりませんが)の一部を抜粋したものです。
記事の中の、弘法大師が粟や稗をついたという『石臼』ですが、平成16年の台風で、滝上流の土が落ちてきて、現在は見ることができません。石臼の深さは30センチを超えると思われますが、幼少のころに手を突っ込んで底まで届かなかった記憶程度で、測ったわけではありません。
観光誘致の一つとして、どちら様か発掘しませんか?
以下、参考に
3.伝説の紹介
1)多美山の穴禅定
岩坂の多美山山頂南に「多比大師」と呼ばれる弘法大師をまつるお堂があり、この付近には弘法大師にまつわる伝説が多い。
かつてここで弘法大師が修業し、ここが気に入って道場にしようとしたが、道場にするにはその近辺に88の谷がいるので探したが、二つの谷が足りずあきらめた。後で「おそ谷」
「から谷」という二つの谷が出てきたと伝えられる。弘法大師の「腰かけ岩」とか「座禅岩」という岩があり、「穴禅定」という洞穴もあり、行場になっていて、あちこちの岩に仏さんを祀(まつ)ってある。お堂の近くに「御来光の滝」という滝があり、朝日がさすと美しい虹(にじ)ができる。この近くに大師が粟(あわ)、稗(ひえ)などをついて食べた石臼(うす)といわれるものがある。滝水がおちて岩がくぼんだものである。
大師は多美山の木材を切り出して・・・・・以下略(井川町の伝説で検索を)
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