わが国の安全保障を阻害する安倍談話
8月14日に閣議決定を経て公表された安倍談話は、その内容が極め
て曖昧な、できの悪い談話になった。しかし安倍談話を批判するばかり
では、建設的なことは何も生まれてこない。迷走の果てに村山談話を引
き継がざるを得なかった安倍談話をどう未来につなげていくべきか、そ
れを述べることが本稿の目的である。
安倍首相の迷走
安倍首相は自らの間違った歴史認識に固執するあまり、村山談話を否
定して新たな安倍談話を出すと宣言した。ところが、たちどころに中国
や韓国の反発を招き、それだけならまだ安倍首相は村山談話の否定にこ
だわったに違いないが、最大の同盟国である米国を「失望」させたこと
によって、村山談話を引き継ぐと前言を翻さざるを得なかった。そうで
あるなら新たな談話など出す必要はなかったのに、安倍首相はみずから
の談話を出すことにこだわった。すべての迷走はここから始まった。
内外の関心は日を追って高まり、村山談話で示された侵略や植民地支
配の反省、とりわけ「お詫びの言葉」をどこまで語るかが最大の争点と
なった。村山談話を引き継ぐと公言した以上、それを否定するが如き談
話はもはや許されない。しかし、村山談話をそのまま踏襲するのでは自
尊心が許さない。おまけに自らの支持基盤である国家主義的な考えの同
僚議員や国民を失望させることになる。こうして迷走を重ねた挙句、最
後は内外の世論に屈する形で、中途半端で意味不明な安倍談話を発出せ
ざるを得なくなった。これ以上の失態はない。
しかし、安倍首相の迷走は、皮肉にも村山談話の重要性をあらためて
内外に知らせることに貢献した。そして最後は、安倍首相も村山談話を
歴代の内閣は継承すると認めざるを得なかったのだ。たとえそれが口先
だけであるとしても、安倍談話の中でそう明言した以上、安倍内閣も村
山談話を引き継がざるを得ない。このことは、後述するように、村山談
話が国是として定着していくことに将来の道を開くことを意味する。こ
れこそが安倍談話の最大の功績である。
なぜ村山談話は維持・発展させなければいけないのか
戦後の日本の不幸は、あの間違った戦争を国民の手で検証し、その反
省に立ってあらたな民主国家を国民の手でつくる機会がなかったこと
だ。すなわち戦後の日本は、事実上の占領国である米国と日本の指導者
の合作によって、天皇制の存置、憲法九条(武装解除)、日米安保体制
(従属的な日米軍事同盟)という矛盾した三位一体で再出発した。そし
てこの史実を国民は十分に知らされないままに今日に至った。だからこ
そ、この国は歴史認識においていつまでも分裂したままであり、安倍首
相のような間違った歴史認識を引きずった政治家が後を絶たずに、世界
に誤解と警戒感を抱かせてきたのだ。その問題に決着をつけようとした
のが村山談話だった。そしてその村山談話は小泉談話に引き継がれ、世
界各国、特に中国、韓国、米国もそれを評価した。もし、歴代内閣で最
も右翼イデオロギー性の強い安倍政権が村山談話を認めるなら、村山談
話は文字通り日本の国是として確立したはずだった。ところが、ことも
あろうに、というよりもその強い右翼イデオロギー的な性格の故に、安
倍首相は村山談話を否定しようとした。それは絶対に許してはいけない
ことだった。村山談話を否定することは歴史の流れに逆行し、戦後70
年間、日本の政治が築き上げた国際的信用を破壊するものだからだ。私
が「村山談話を継承・発展させる会」の呼びかけに応じ、発起人の一人
となった理由がそこにある。
村山談話は憲法9条と並ぶ日本の最善、最強の外交・安保政策
正しい歴史認識を持つことは、単にそれが日本国民に必要な教養であ
るだけではなく、日本の外交・安全保障にとって不可欠なのだ。ポツダ
ム宣言を受諾して国際社会に復帰した日本が、戦後七〇年経った今に
なってそれを否定するなら、世界が不信感を抱き、警戒するのは当然で
ある。日本を国際的孤立に追いやらないためにも村山談話の維持は不可
欠なのだ。
それはあたかも憲法九条が、単に平和を願うだけの条文にとどまら
ず、日本の外交・安全保障にとっての最善の政策であること見事に一致
する。いくら自国の軍事力を強化しても、あるいは軍事同盟関係を拡充
しても、平和が実現されないのみならず、むしろ軍事的敵対関係につな
がることを世界が今ほど痛感しているときはない。世界に先駆けて「平
和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持
しようと決意した」(日本国憲法前文)日本ほど、戦争の脅威から無縁
の国はない。正しい歴史認識に基づく村山談話と、世界に先駆けて戦争
を放棄した憲法九条こそ、日本の最強、最善の外交・安保政策なのであ
る。
安倍談話に歯止めをかけた明仁天皇
安保法制案の強行採決に対する反対といい、村山談話を否定しようと
した安倍首相への反発といい、安倍首相の暴走に歯止めをかけたのは支
持率低下という世論の力であった。しかし同時に、今上天皇である明仁
天皇の度重なる政治メッセージが安倍首相の暴走を抑止することに貢献
したことを国民はみな知っている。
なぜ明仁天皇はそこまで安倍首相の暴走に強い危機感を抱かれたのだ
ろう。それはあの戦争の惨禍を体験し、その戦争と戦後の日本の形成に
大きくかかわった昭和天皇の負の遺産を明仁天皇が引き継いでおられる
からに違いない。明仁天皇こそ二度と間違いをおかしてはならないとい
う強いお気持ちを、国民の誰よりも抱いておられるのだ。われわれ国民
は、明仁天皇がご健在のうちに、正しい歴史認識とその認識に裏打ちさ
れた護憲意識を、国民的合意にまで発展させ、国是としなければいけな
いのである。
いまこそ村山談話を継承・発展させていく時だ
歴史認識と言い、憲法九条といい、この日本の一大論点は、右翼と左
翼のイデオロギー対立のテーマとして受け止められがちだ。しかし、わ
れわれの目の前で繰り広げられている国際情勢の厳しさを直視したと
き、今ほど、過去の過ちから学び、人類の共存を訴える憲法九条の必要
性が高まっているときはない。
われわれはほとんど知らないが、第二次大戦後に出来た国連の原案で
ある大西洋憲章は、もともとは、すべての国家に戦争をすることを認め
ない理想的な国際組織の形成を目指していた。国家が同盟を組んで敵対
陣営と戦うという、いわゆる集団的自衛権の行使などは、決して認めて
はならないという考えから出発していた。それはまさしく憲法九条を押
しつけたマッカーサーの理想でもあり、そのマッカーサーに感銘を与え
たと伝えられる当時の首相、幣原喜重郎の考えでもあった。
残念ながらその理想は、冷戦という現実の前にもろくも崩れ去り、国
連憲章第五一条によって集団的自衛権が認められることになった。しか
し、日本の憲法九条は起草時のまま健在である。世界が歴史の流れに逆
らって軍事力強化に走ろうとしている今こそ、日本は憲法九条を世界に
掲げる外交的努力を行うべきなのだ。
安倍談話の迷走が教えてくれたこと。それは、日本が世界に貢献でき
る国になるには、村山談話を国是とし、憲法九条を世界に掲げる国にな
るしかないということである。その目標の実現に向けて努力することに
左翼も右翼もない。過去の世代の犠牲を無駄にすることなく、将来の世
代に二度と戦争の不幸を経験させないために、いまを生きるわれわれが
一丸となって果たさねばならない責務である
以上、引用
コメント
0 件